第一次上田合戦
天正13年(1585年)に徳川軍が上田城を攻めた戦い 神川合戦とも言う
松代藩家臣の「上田軍記」、大久保彦左衛門の「三河物語」などに記載がある
発端
天正3年(1575年)に兄2人が長篠の戦で討ち死にしたため、昌幸は真田家を相続 天正8年(1580年)には沼田城を攻略し
北上州一帯を勢力下に置く
しかし、天正10年に武田家が滅亡、昌幸は信長に臣従したが、その信長も本能寺の変で死ぬ そのため信州は上杉、北条、
徳川の大勢力に囲まれ草刈場と化した 真田家は生き残りをかけ上杉、北条、後に徳川に臣従する 天正10年の間に5回
主家を変えたことになる ただし昌幸は安易に降伏したのではなく、和戦両様の構えで厳しく対峙し、臣従と言うより同盟関係
と捉えていたと思う 主家を裏切った訳ではない
北条と徳川は和睦し、その条件に真田側の沼田領を北条に引き渡すことがあった
家康からの要求を昌幸は拒否 怒った家康は天正13年、上田城を攻める
*家康は信州や甲州の諸将を味方に付けるため、履行不可能な、知行状(不良手形)を乱発した 昌幸に甲州の一部と諏訪
郡と上州箕輪、芦田信蕃に佐久郡と諏訪郡、木曽義昌には諏訪郡と筑摩郡というように このツケが回り、沼田の代替地は
無かった 当時良くあった事で、昌幸も同様の事をしているので、家康だけが非難される訳ではないが
上杉景勝の援助
昌幸は次男信繁を人質に送り、上杉の援軍を要請 上杉景勝は、一旦離反した真田ではあったが、真田を味方に付ける事は
上杉にも利があったので、快く応じる
当時上田城はまだ完成していなかったが、上杉軍の援軍も得て完成を急いだ また後詰の兵も北信濃には出したと思われる
8月29日付(合戦の3日前) 矢沢三十郎(矢沢頼綱の子)宛て海津城代須田満親書状 未だ申し通せず候と雖も一翰啓せしめ候 今度御証人(人質)として御幼若の方(信繁)御越し申し痛み入り存じ候 その口に於いて御稼ぎの由是非なき次第に候(信繁から聞くところでは軍支度等、仕方が無い次第と存じます) 先日曲尾筋(真田町)へ助勢申し候ひき、重ねて今日人数さし遣わし候 御用等御隔心なく仰せ談ぜらるべく候 洪 水にて路次自由ならざる故、吾等遅参所存の外に候 何様面談を以って申し承るべく候 恐々謹言 尚々其元昼夜の御苦労察し入り候 御稼ぎの段並びに御証人指し越され候 則ち春府(春日山城)へ申し達し候 |
徳川軍
鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉、周辺の信濃の武将など総勢7000
徳川方は負けてみっともないので、公称は少なめ 実際は1万程度の軍勢だったと思われる
真田軍
昌幸、信之(当時は信幸)、上杉の援軍(あったとしても少数)、領内の武装農民などを加え総数3000人ほどと思われる
次男信繁は春日山城に人質で、参加しているはずはないが、「上田軍記」では信繁が参戦したと書いている
結果
損害は徳川軍1000人前後、真田側数10人 真田の完勝
石川数正の出奔もあり、また上杉方が救援に来た事を知った家康の命により徳川軍は撤退する 家康は上杉と事を構え
ると重大事態に発展すると恐れたと思う つまり家康は昌幸が秀吉、上杉にまで根回ししていたとは知らず、安易に上田を
攻めたようだ また、沼田城を攻めていた北条軍も矢沢頼綱等が良く守り撃退した
地の利、戦略から真田の勝ちは当然であったが、完勝であったため、真田の武名を高めた
沼田城重臣宛信幸返書 芳札披見、仍従遠州出張候間、去二日於国分寺遂一戦 千三百余討捕備存分に候、然者南衆(北条方)其表可相働候、 於然堅固之備憑入候 恐々謹言 閏八月十二日 真田源三郎 信幸 判 下豊(下沼田豊前守)、恩伊(恩田伊賀守)、木甚、恩越、發参 |
芳しい書状を拝見した 遠州より徳川勢が攻 めて来たが、去る2日国分寺に於いて一戦し、 1300人余り討ち取り備えは十分である そこで、北条方がそちらに攻めて来るに違いな いので、堅固の備えを頼み入る |
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千曲川合流点より少し上の神川(上が北方向、 |
神川と千曲川の合流地点 千曲川は川幅広く、この辺は浅瀬で 中州になっている 左上付近が国分寺になる |
その後
昌幸は秀吉に臣従 信繁はその人質として大阪へ出仕、秀吉の近習となる 後大谷吉継の娘を正室とする
昌幸は秀吉の命により家康の与力大名(戦時にはその指揮下に入る)とされ、駿府城で家康に拝謁
信之は家康に臣従 昌幸とは独立した、徳川方の大名として扱われた
小松殿の輿入れ
本多忠勝は信之の器量に惚れ込み長女を政略結婚さすよう家康に提案 紆余曲折あり(昌幸が陪臣の娘に難色などの説)
結局家康の養女として信之に輿入れ 時期は諸説あるが、天正17年(1589)頃と思われる この婚姻を宰領したのは本多
正信であったという
天正18年(1590)沼田が北条滅亡後真田家に返還されると、沼田城主となった信之とともに沼田に住む